2020年3月9日にセコマの株主総会が行われました。
その場で現社長の丸谷智保氏が会長に就任、同時に赤尾洋昭氏の新社長就任も発表されました。
セコマとしては11年ぶりの社長交代になります。
セコマは会社名ですが、北海道民ならみなさんご存じのコンビニエンスストアのセイコーマートはこちらの会社が運営しています。
この記事では会長になった丸谷智保氏と新社長の赤尾洋昭氏について紹介しますね。
セコマ(セイコーマート)の新会長丸谷智保氏とは?
セコマ(セイコーマート)の新会長丸谷智保氏の社長時代の功績とは?
新会長丸谷智保氏が当時の株式会社セイコーマート(現セコマ)の社長に就任したのが2009年になります。
丸谷会長は社長就任後に前会長の地域おこしより地域残しという路線を引き継ぎました。
過疎の町や村への積極的な店舗の開店もしていますね。
このあたりの話はこちらの初山別の話を見てもらえれば経緯がわかるかと思います。
また、ホットシェフを充実させました。
ホットシェフとは店内で調理し、出来立てのお弁当や総菜、おにぎりなどを提供するシステムのことですね。
セイコーマートのホットシェフは独自色が強いですね。
全店舗にホットシェフが入っているわけではありませんが、相当数の店舗に入っている印象です。
新規店舗には必ず入っていますね。
セイコーマート公式ホームページ↓
他には道産食材を使った商品の開発を積極的に行っており、プライベートブランド商品として道外や海外も販路を広げたのです。
台湾やタイ、シンガポール、カンボジア、中国などに自社のプライベートブランド商品を輸出しています。
アジアでは道産食品の人気が高まっていてセイコーマートも一定の知名度があるようですね。
セコマはいまや本業のコンビニエンスストア業だけではなく、外販にも積極的に力を入れているようです。
それは裏を返せば、本業のコンビニエンスストア業界の先行きが厳しいということもあるのではないでしょうか?
ほとんど全ての都道府県ですでにコンビニエンスストアの店舗数は飽和状態ですよね。
交差点の四つ角全てにコンビニエンスストアがあるなんて、よくある話です。
今のコンビニエンスストア業界で生き残っていくのは大変なことです。
セイコーマートは北海道が地場で、北海道でのコンビニエンスストアシェア率1位を誇るとはいえ、大手のコンビニエンスストアチェーンの攻勢も激しいです。
やはり変化がないと生き残っていくのは難しいのでしょう。
出版物の自社輸送も行い、食品製造と物流をコンビニエスストア事業とは別の事業として育て、大手のコンビニエンスストアチェーンとは違う食のサプライチェーン企業に成長させました。
地域に寄り添うという経営姿勢は、2018年9月の道内ブラックアウト時に道内店の多くが営業したことにも表れています。
ホットシェフのガス窯でご飯を炊いて、塩おにぎりを作ったその対応がネット上で神対応と呼ばれましたね。
社長就任前の2008年12月期には1600億円程度だった店舗の年間売上高を、10年後の2018年12月期には1800億円まで伸ばしています。
コンビニエンスストア飽和状態と呼ばれている北海道にあって、北海道に本拠地を持つ地場のコンビニエンスストアとしては頑張っていると思います。
道内の店舗数も10年の間に940店弱から1100店に増加させていますね。
ここ10年の間でセイコーマートは成長し、道内を代表する企業になりました。
それには丸谷会長の尽力があったと言えるのではないでしょうか。
丸谷智保氏の経歴とは?
丸谷智保氏は1954年9月24日生まれの65才。
北海道中川郡池田町出身です。
池田町は北海道の中では十勝地方と呼ばれる場所にあります。↓
池田町は人口6600人ほどの町ですが、ワインで有名な町なのです。
十勝ワインという名前を聞いたことはありませんか?
そして、この町特産のワインにも丸谷智保氏は関係があるのですよ。
慶応大学法学部を卒業し、北海道拓殖銀行に入行。
当時、北海道でたくぎんと言えば最大手の銀行でした。
そのたくぎんが倒産するとは誰が想像できたでしょうね。
誰も想像できなかったでしょう。
その後、1998年にシティバンク銀行に入行。
2007年3月にセイコーマートに入社しました。
今は株式会社セコマになりますね。
2007年に専務、2008年に副社長、2009年3月から社長に就任しています。
内閣府経済財政諮問会議政策コメンテーター・北海道EU協会会長・北海道経済連合会常任理事も務めています。
池田町をワインの町にした丸谷金保町長は丸谷智保氏の父親
ワインで有名な池田町と紹介しましたね?
池田町は町営でブドウ栽培・ワイン醸造を行いワインの町として知られているのです。
池田ワイン城やワイン祭りも有名です。
何を隠そう、池田町をワインの町として有名にしたのは丸谷智保氏の父親の丸谷金保氏なのです。
丸谷金保氏は池田町長を5期20年の長さに渡ってつとめているのですが、その間にいちから十勝ワインを開発したのです。
相当苦労して、ブドウを育て、ワインを作ったそうです。
最初は全く売れなかったワインを町の主力製品に育てたのは、間違いなく丸谷金保氏の功績です。
十勝ワインは生産から加工、販売までを池田町の住民と自治体が主体となって手がけており、外部資本の介入を許さず町で作る姿勢を貫いたのです。
十勝ワイン美味しいんですよ。
種類もいろいろありますし。
公式ホームページを見ると池田町のワインの全てが分かりますよ。
丸谷金保氏は町長退任後、衆議院議員を2期務めました。
2014年に老衰のため94才で亡くなっていますが、池田町名誉市民、叙従四位となっています。
逝去時には町葬が行われ、町民向けと一般向けの2回も行われました。
町葬には道内外から約1100人もの参列者がありました。
十勝ワインのボトルから注がれる赤ワインをあしらった祭壇に、ワイン城で十勝ワインのボトルとグラスを手にした丸谷金保氏の遺影が飾られ、ワイン町長と呼ばれた同氏の功績や人柄をしのんだのとのことです。
町葬が行われるなんてすごいですね。
北海道内では新聞にも載りましたし、ニュースにもなりました。
それだけの功績を残したということですね。
セコマ(セイコーマート)の新社長赤尾洋昭氏とは?
赤尾洋昭氏の経歴とは?
赤尾洋昭氏は1976年生まれの43才。
札幌市の出身です。
1999年に一橋大学を卒業し、マツダに入社。
セイコーマートには2004年に入社しています。
2006年3月に取締役就任。
2009年2月に常務取締役就任。
2014年2月に専務取締役就任し、2016年2月からは代表取締役副社長となっています。
そして、今回2020年3月の株主総会で2020年4月1日から社長に昇格することが承認されたのです。
順風満帆に出世してきた感じですね。
丸谷智保氏は代表権を持つ会長に就任ということですから、赤尾洋昭氏は丸谷智保氏の指導の元で経営哲学を学ぶものと言われています。
43才で社長就任はとても若いですよね。
実は赤尾洋昭氏はセイコーマートを立ち上げ、社長、会長を務めた故赤尾昭彦氏の長男なのです。
よく言う二世社長なのですね。
セイコーマートを北海道を代表するコンビニエンスストアに育てた赤尾昭彦氏は赤尾洋昭氏の父親
セイコーマートは日本で初めてコンビニエンスストアを開店させました。
そのあたりの経緯はこの記事を参考にしてくださいね。
長年に渡り、いちからセイコーマートを育ててきたのが、故赤尾昭彦氏なのです。
赤尾昭彦氏は1940年生まれ。
北海道留萌市生まれです。
2016年に76才で逝去されていますが、やはり道内ではニュースになりました。
セイコーマートとして社葬も行われています。
そのお別れ会には多くの方々が駆け付けました。
2004年には社長に就任し06年から会長に就いた。
自社開発の牛乳、乳製品や菓子類を関東で直販するため70歳を過ぎてから東京に常駐、住まいも移した。
自宅マンションから新橋の事務所まで1時間ほどの電車通勤も心掛けた。
「北海道の商品は品質が良いのがすごい売りですよ。追い風を感じる。多くの企業の本社機能は東京。だから東京で納入が決まれば全国へ流れる。まるで物量が違うんだから。うちは、魚や野菜、生乳など原料を持っているでしょ。僕は原料主義だから現物がない限りは信用しない」
リアルエコノミーより
なんと故赤尾会長は70才を過ぎてから、東京に常駐を始めてたのですよ。
しかも、悠々自適のリタイヤ組ではなく、バリバリの現役としてです。
本州への外販の販路の道を拓いたのは故赤尾昭彦氏と言えますね。
豊富町の牛乳もセコマブランドではなく、北海道の美味しい牛乳として売られているという話です。
みなさんももしかしたら、セイコーマートの美味しい牛乳を知らず知らずのうちに飲んでいるかも知れませんね。
赤尾昭彦氏の尽力がなければ、セイコーマートはここまで大きくはならなかったのではないでしょうか?
まだ若い長男の赤尾洋昭氏がどのようにセイコーマートを引っ張っていくのかは未知数ですが、これからのセイコーマートを見守っていけばおのずと結果が出るのではないでしょうか。
コンビニエンスストアはもはや店舗数を増やせる状況ではありませんし、 セイコーマートとして生き残っていくためには思い切ったことをするのかも知れませんね。
人口減少や市場縮小問題は全ての流通業界に通じる問題だと思います。
セイコーマートが一番身近なコンビニエンスストアであることは変わりないので、どのように変わっていくのか将来が楽しみですね。
ノースキャットの一番身近にあるコンビニのセイコーマート。
これからどんな風になっていくのでしょうか?
追記 赤尾洋昭社長への一問一答
2020年4月8日付北海道新聞に新社長となった赤尾洋昭への一問一答が載っていましたのでご紹介しますね。
元々はセコマに入ることは考えていなかった。
社長と言っても肩書が変わるだけ。
当面の役割はそれぞれ変わらず、二人三脚で取り組んでいく。
コンピューターに代替できる部分は多く、人手不足対策にもつながる。
今後も開発を続けていく。
海外への販売も視野に入れますが、コストの面を考えれば、まずは本州への出荷を増やしていきたい。
通販の需要が増えても実際に見て選びたい人も多い。
取扱商品は温度管理が必要なものが多いため、省力化なので形態が多少変わっても店舗は残ります。
衛生意識も高まっており、それに合わせた商品開発も必要です。