北海道コンサドーレ札幌苦難の歴史その1
  • 2019年シーズン 10位
  • 2018年シーズン  4位
  • 2017年シーズン 11位

これは北海道コンサドーレ札幌のここ3年間の順位です。

どう思いますか?

普通に見たら『ふーん。去年は良かったけどあとは二けた順位なんだね』って感想を持つかも知れませんね。

でも、これは北海道コンサドーレ札幌としては快挙なのです!

何故なら。

この3年間は全てJ1リーグでの成績だからです!

北海道コンサドーレ札幌J1リーグでの成績

北海道コンサドーレ札幌がJ1リーグに3年間いたのは初めて

北海道コンサドーレ札幌は過去5回J1リーグに昇格したことがあります。

けれど、今までは長くて2年間いるのが精いっぱい。

それもたったの一回だけ。

あとは全て1年で、しかもダントツ最下位でJ2リーグに降格していました・・・。

あれ、そういえばコンサドーレっていつできたんでしたっけ?

それでは北海道コンサドーレ札幌の歴史を見ていきましょうか。

北海道コンサドーレ札幌ができたわけ

北海道コンサドーレ札幌の前身は東芝サッカー部

1993年。

この頃、日本は空前のサッカーブームに沸いていました。

日本初のプロサッカーリーグとしてJリーグがスタートしたのは1993年です。

当初は10チームからのスタートでした。

そのためこの発足時当初から参加していたチームはオリ10(テン)と呼ばれています。

そんな中、北海道でもJリーグクラブが欲しいと札幌青年会議所が中心になって誘致活動を始めていました。

1993年には誘致推進特別委員会が設置され、翌年には署名活動が始まりました。

最終的には31万人という多くの署名が集まったのです。

同時に誘致組織も発足しました。

そして、1996年当時旧JFLに所属していた東芝サッカー部の北海道への移転に成功しました。

チーム名を『コンサドーレ札幌』と決定し、この瞬間から北海道コンサドーレ札幌の歴史が始まったのです。

コンサドーレ札幌のエンブレムはシマフクロウをモチーフにしている

これなんだと思いますか?↓

コンサドーレ公式HPより

これは北海道コンサドーレ札幌のエンブレムです。

この画像は2代目ですが、1代目とそれほど大きく変わったわけではありません。変わったのはHOKKAIDOと入ったところだけです。

北海道に生息する日本最大のシマフクロウがモチーフになっています。

コンサドーレ札幌初めてのJリーグを戦う1998年

いざ初めてのJリーグへ

Jリーグに昇格したコンサドーレ札幌は前年メンバーをベースにさらに補強を重ねて、初めて戦うJリーグへの準備万端で臨みました。

しかし、2ステージ制だったファーストステージではたった4勝しかできず、16位(18チーム中)となってしまいます。

セカンドステージでは途中で監督交代し、当時コーチだった石井肇氏を内部昇格させます。

他にも選手補強をし、そこからはなんとか戦い抜いて10位で終えました。

年間成績も14位です。

この成績で降格するはずはありませんよね。

だって、チーム数は18あるんですよ。コンサドーレ札幌は14位です。

下にまだ4チームもいます。

ところが・・・。

J1参入決定戦不可解なルールに泣いた苦い記憶

Jリーグはこの翌年から2部制(J1・J2)に移行することを決めていました。

そのために1997年と1998年シーズンの成績を反映させることになっていたのです。

コンサドーレ札幌は1997年はJFLです。Jリーグにはいませんでした。

ですので、1997年のポイントはゼロです。

はっ?

って感じですよね。

そもそも2年間の合計ポイントで翌年J1かJ2かを決めるなんてひどい話です。

どうせやるなら1998年1年間の成績で決めてほしかった。

そんなわけで、コンサドーレ札幌はJ1参入決定戦にまわることになります。

それでも、1試合勝てば翌年はJ1リーグで戦える、コンサドーレ札幌には有利と言われるルールになっていました。

けれど・・・。

コンサドーレ札幌は1つも勝てませんでした。

こうして、不公平なルールによるJ1参入決定戦に敗れたコンサドーレ札幌は翌年はJ2リーグで戦うことになったのです。

コンサドーレ札幌前日本代表監督岡田監督で再スタートを切る

岡ちゃんでやってやるぜ!

1999年、コンサドーレ札幌の監督に岡田武史氏が就任しました。

前年のフランスW杯の日本代表監督として抜群の知名度のある岡田監督で戦うのです。

誰もがみんな期待していました。

岡ちゃんなら絶対にやってくれるぜ、と。

もちろん、1年でのJ1リーグ復帰が最大の、そして唯一の目標です。

ですが、この年は5位(10チーム中)という成績に終わり、念願のJ1リーグ復帰を果たすことはできませんでした。

がっかりです・・・。

ただそんな中でも明るいニュースとしては、この年所属していた吉原宏太選手がフル代表に選出されたのです。

コンサドーレ札幌の選手として初めて国際Aマッチ出場を果たしたのですよ。

吉原宏太選手の次が2019年の鈴木武蔵選手ですから、次の代表選出までは本当に長い時間がかかりましたね。

20年です。

生まれた子供が成人してしまうくらいの長い時が流れていたのでした。

コンサドーレ札幌岡田監督2シーズン目での念願達成

2000年のシーズンが始まりました。

岡田監督もJ2リーグでの戦い方に慣れたのか、この年は見事な成績を収めることに成功します。

何よりも補強選手が大当たりでした。ブラジル人FWがすごかったのです。

その名はエメルソン!

31得点をたたき出し、得点王に輝きます。

ちなみにこの年、後に社長となる野々村芳和選手も獲得しています。

結果、31勝5分4敗という年間成績でJ2リーグ優勝!

念願のJ1リーグ昇格を果たします。

2回目なので、復帰という方が正しいかも知れません。

コンサドーレ札幌 初めてのJ1リーグ残留

2回目のJ1リーグへ昇格したコンサドーレ札幌。

下馬評は低かったものの、エメルソンがいなくなった代わりにやってきたブラジル人助っ人のウィルが活躍してくれました。

ウィルは24得点でこの年の得点王になっています。

2年連続でコンサドーレ札幌の選手が得点王を取っているのですね。これは誇っても良いことですね。

この年、後にフル代表に選ばれる今野泰幸選手が入団しています。

そして、11位(16チーム中)という成績で初めてのJ1リーグ残留を果たすのです。

しかし、この年を限りに岡田監督は退任してしまいました。

そのことがコンサドーレ札幌の迷走を生み出すことになるとは・・・思いもしませんでした。

northcatのひとりごと

改めてコンサドーレの歴史を見直していくと、いろんなことが思い出されて・・・。

悔しかったこと・・・辛かったこと・・・。

でも、それは全て今へとつながっていくのですよね。

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